言の葉。
テニスの伊達公子さんが、”過去は振り返らない”、みたいなことをお話されたようですが、潔くてかっこいいです。
今があるのは過去があり今の続きに未来があるのは、否めないことではあります。が、とらわれてしまう過去なら振りかえらずに。
音楽なら、出してしまった音は録音でもしない限り、全て空気に消えてしまう。
音楽は一秒だってとまれない。流れて行く。時間と共に。雲みたいに。
言葉の響きがそのまま音になる。
先日の多田周子さんのライブで、武満徹さんの曲を何曲か初めて聴いて、弾かせていただきましたが、びし~と来る曲ありました。”翼”と”小さな空”。
小さな空(武満徹)
青空みたら 綿のような雲が 悲しみをのせて 飛んでいった
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた 子どもの頃を憶(おも)いだした
日本語の中にある間とか、空間とか、言葉以外の言葉のニュアンスとかはやっぱり生活しているネイティブだから感じることがあるな、と感じます。
スペイン語はキリスト教カトリックと密接に結びついた言葉であり「神と話す言葉」と言われてます。とスペイン語学科に入ったとき、聞きました。
高校は、英語科のある学校へ行き、なぜかたまたま浄土真宗の学校だった。そこからいきなりスペイン語は、カトリックのこと何もしらなかったけど、音としてやっぱり確かに荘厳な響きを感じました。
ところが、受験より厳しいと感じたスペイン語の授業、テストのサイクルについてけず、入学したはいいが早くも違うことを考えていた。超低空飛行の日々、1年生の5月くらいに、私はボサノバをはじめた。
もはやスペイン語恐怖症、アレルギーだったので、スペイン語の響きが神と話すのに最適だということもまったく考えることはなくなってしまった。思っても無い大学生活になり、日本人的な正しいおりこうさんなコースを脱線、以降アウトローな路線をたどってるような。
学校選び、学ぶ内容選び、環境選び、方向性選びはほんとに大事だ。本人、周り、ひいては社会の幸せにも極端な話通づる。
でも、時というものは、優しい。ニュートラルな時期が来るものです。その感じも薄れ、やっとスペイン語響きを素直に聴けるようになり、LuizMiguelの歌に素直に感動します。ソウルフルな歌唱、甘い声、豊かなラテンの名曲を歌う、言葉の響きも彼のスペイン語で歌われるとうっとりします。
トラウマ、劣等感とか、過去とかそれぞれの人が大きく、小さくなんかしらあるかもですが、突破したり、少し飛躍するかもですが、楽器の習得などでもそうですが、強くなってけたら、と感じる次第です。
そのあと、3年からは、一般的なルートからアウトしているアメリカのマイノリティーの現代作家たちの研究をしている先生にそのあと編入先の大学で出会い、サリンジャーはじめ、2年間の短い時期にそのような文学に触れられ、ラッキーでした。その当時、支えられてました。(マイノリティー=少数派。)
最近、日本語の歌に触れられる機会があり、自国語=日本語に楽しみが出てきました。多田さんとの次回ライブは浅草ZINCにてひなまつり3月3日にあります。またどんな日本の歌に出会えるか楽しみです。
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