斎藤まもる先生。
主にボサノヴァ関係の楽譜執筆に尽力なさった、音楽家の齋藤まもるさんが7/4に天に旅立ちました。ご葬儀は6日に近親者で行われました。83歳でした。
日本でのボサノヴァ関係の譜面はこのかたが最初だと思われ、ネットもなく情報がない時代にとても貴重なお仕事されていらっしゃいました。
先生にはギター習ったことが実はないのですが、お優しく愛情深い方で、その当時ギター弾いて歌う女子は珍しかったためか、演奏始めた頃から気にかけてかわいがって頂きました。
実の父親と同じ世代で、音楽家だけでなく技術者として会社員もされていた先生ならではの視点で色々と人生相談にものって頂いていました。達筆でお弟子さんたちに時々長いお手紙を書いてらっしゃいました。
Luizão Maiaバンドのライブも女優の娘さん、早瀬マミさんと来てくださったりしたのも思い出しました。
斎藤先生とは学生あがり20代前半の時、三上ご夫妻の経営する店四谷イパネマでお会いしました。斎藤先生の1番弟子、吉野紀さんが中央アート出版に就職する為、その後の演奏者として私はその当時習っていた大友正男さんから紹介で行きました。
その当時ご両親の介護に追われながらも時々応援に来て下さいました。
当時まだ普及初めのビデオカメラで撮って頂いたビデオテープがあります。今はもう家で見られないので、見られるよう変換してもらおうかと思います。
ここ10年位ご病気がちであったのもあり、なかなかおあいずらくなり、時々お弟子さんたちと先生の住む町に会いに行こうと話していましたが、なかなか先生からオーケーサイン頂けず伺うことかなわず、いつも気がかりでした。
昨年秋のことです。娘さんの 女優 早瀬マミさんが突然西荻窪アパレシーダに一人で聴きに来て下さいました。美しい方なのですがどなたか思い出せず、、、。実はとお聞きして、ほんとうに嬉しいサプライズ。涙を流しながら聴いて下さいました。とても切なかったです。
先生のお身体の具合をお聞きし、早くお見舞いに行かないとと焦りました。隣町に住んでいる吉野先輩に電話したらたまたま家におられ来て下さいました。そしてしばらく後吉野さん、また別のお弟子さんとマミさんと病院に伺いました。
吉野さんがギター持って来てくださり、急遽当日のリクリエーションとして吉野さんと私で演奏させていただきました。
長らく会いたくても会えなかった斎藤先生に聴いて頂き感無量でした。
この黄昏のビギン、大好きです。
ご自身著作の楽譜や資料用のレコードをご進呈くださったもの大切に保管させて頂いています。久々に先生の譜面、バッハのブーレ弾いてみたら、先日ジョアン先生も力説されていた基礎テクニックの重要性にやはり気づかされました。斎藤先生のアレンジ、ソロギター弾けるよう精進したい。
娘さん早瀬マミさんから、
近い将来齋藤まもる(M.セバスチャン)と交流のあったミュージシャン達と父のアレンジでのライブイベントをブチ上げてあげたいと考えております。ご興味ありましたら、その時ぜひどなた様も遊びにいらしてくださいね。というメッセージも頂いています。
先生の偉業をお伝えして行かれるご意向でいらっしゃいます。私も微力ながら応援します。
女優さんとしてももちろん期待してます。
斎藤まもる先生、マミさん、ありがとうございました。
まだ先生が旅立ったのは信じられないし、とても寂しいです。
とても紳士でかっこいい方でした。いつまでもこれからもずっとこころの師匠です。
アントニオカルロスジョビンやうちの母に今頃会っているかなと思います。
ゆっくりお休みください。ご冥福をお祈りします。
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