震災支援・宮城県石巻市牡鹿半島。

3か月前の14時46分18秒。

地震から今日で3か月。3か月前の14時46分18秒だった。今日のその時間は、レッスンしている。

大きい団体の義援金のわりふりが進まないときく。

湘南に住む友人からきき、宮城県石巻市の牡鹿半島の避難所の中学校あてにほんとうに少しで申し訳ないですが、食料中心の物資を送らせて頂いています。住所を友人からきいたので、送れましたが、それまでは送る先もわかりませんでした。

友人はこれでさいごと思いながら、湘南から一人牡鹿半島まで物資を届けてくれている。でもいくとまた次回の日が決まる。その様子を写メでPCあてに送ってもらうたびに胸が痛む。でも現実。牡鹿半島のグーグルの地図を見ると、地形がまったくかわってしまった。

必要な物資を必要な場所へ送る支援サイトあります。http://fumbaro.org/

義援金のわりふりが3か月たっても決まってなくても、維持費にも使われているだろうし、やはり必要な物資はその時によってかわるだろうし。

今日は、新橋で演奏。アルバムにはいれなかった曲、オリジナルの応援歌も歌う予定であります。音楽はいつも厳しいけど、地震後さらに音楽やるなら強い気持ちでやらないと。

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牡鹿半島、ひとまずの吉報。

宮城県石巻市牡鹿半島の現状は、緊急状態は改善され、支援の仕組みが正しく機能するようになっているという吉報を、支援している友人隊長からもらいました。

来週また隊長が現地に食料を持って行ってくれるので、また現状を伝えてくれます。

日本ユニバ震災対策チーム様http://www.ud-web.com/shinsai/ が、自治体になげかけてくださったとのことです。

”現地からの要望が自治体等に届かず一時期、お知らせいただいたよう
な状況に陥っていたそうですが、
今はそれが改善され、緊急に支援が必要な状態は脱し、支援の仕組みが
正しく機能するようになっているとのことでした。そのため、ひとまずは大丈夫
だと考えて良さそうだという判断に至りました。

ただ、今後の経過についても確認が必要だと思われますので、
私どもの現地支援チームが、この近くで活動する際に訪問させて頂きたいと考え
ております。”

まだまだ続きますが、ひとまずほっとした吉報でした。

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宮城県石巻市牡鹿半島、2500人分の毎日の食糧。

1200年に一度といわれている大津波、それに原子力発電の問題、前代未聞の国難。支援は、もう大丈夫という声がきこえるまで長期戦です。できることを細く、長く。個人にできることは小さいけれども。牡鹿半島は、行政のほうがととのうまで、小さくても、その一つ一つが大きいことに思われます。しがないおんがくやの自分が悔しいです。

先月後半、友人から宮城県石巻市に物資を届けるというお話を聞いたときは、今必要とされているものは衣類やおむつなどとききました。が、市内のもっともっと先の牡鹿半島では、1人分の食糧を7人でわけあっているような状態ということを、実際行った友人からききました。

今日、先日宅急便で送らせていただいた食糧が無事届きましたと避難所・物資支援集積所の責任者の方から、ご連絡を頂きました。都内からクロネコ宅急便で届くことが確認できました。

呼びかけにより以前よりは食糧が届き始めているようですが、まだまだ2500人分の食糧を毎食満たすのには足りていない様子です。

クロネコ、ゆうぱっく、佐川、OKということです。牡鹿半島は石巻市内のさらに奥にいった最先端の半島で、物資が届きにくい場所です。

水はまだ水道水でなく配給車からきてるようですが、水はあるので簡単な調理可能です。物資も、道路がいろは坂のようにくねくねで危険な道、余震がある中、運んでくださっています。お米、レトルトパックのものなどがよいとのことでした。でも食糧ならおかしでもなんでもよいということです!

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この友人は私がここ5年くらい演奏でお世話になっております、関内のファーラウトでお知り合いになりました私の歌手の友人のまた友人で、神奈川県の海の近くに住むサーファーです。台風に波乗りに繰り出すくらいの生粋のサーファーで、海をとても愛している方です。石巻市に友人が2人いらっしゃるとのことで当初心配されていましたが、お二人とも命からがら逃げて一命をとりとめたということです。それで、お一人で車を運転して救援物資を届けに行ってくれました。道が危なく事故にあう危険や余震がある中。

以下、実際に牡鹿半島にいった友人の送ってくれたメールです。

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5月5日。

今の牡鹿半島情報です

配給率…今は2人で一食分ないとのことです
それもGWのボランティアさんが持ってきてくれる食べ物のおかげで、そこまで上がったとのことです

そして、やはり自衛隊さんです!!

トラックいっぱいに積んで持って来てくれてるんだけど、やはり2000人分3食となると、半分以下の配給になってしまうとのこと…GWが終わり、自衛隊さんが居なくなったら…終わりです

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4月22日。

自衛隊員や米軍支援部隊のチカラにより日々復旧してきてます。

しかし、まだまだ支援の輪が必要なのです、1人2人のチカラでは、自ずと限界がきてしまうので、協力お願いします<(_ _)>

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石巻市の先に、牡鹿半島というところがあります。
そこで非難してる方々には震災から1ヶ月以上もたつのに…配給で…

朝…オニギリ一個と牛乳か水

昼…自衛隊員が作ってくれる、     そばか、うどん

夜…パン一個に牛乳か水

それだけ食べれるなら、良いじゃないか…なんて言わないで下さいね。

いまだに、そんな状態でも、私たちは復興に頑張ってるって言ってる行政…考えてみて下さい。ま、頑張ってるのでしょうが…。

・・・・・・・いろは坂の様にクネクネしてて、より狭く地震による歪みで危険な山道だそうです
そして、収束宣言は出てないんです、そこに送り出す家族の方の気持ちも考えて下さいね。

そして、被災者の方々が、控えめながらも、なぜ支援を求めてくるか考えて下さいね…仕事も家も家族もお金も…全て無くし、亡くした方々、でも生きていかなきゃいけないのです…そして、どう分配するか試行錯誤してるなどといつまでも言い訳している、政治家行政の影で苦しんでる人が、本当に沢山居るってコトを…。


まだまだ、ゴールは見えません…よろしくお願いします<(_ _)>

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