1200年に一度といわれている大津波、それに原子力発電の問題、前代未聞の国難。支援は、もう大丈夫という声がきこえるまで長期戦です。できることを細く、長く。個人にできることは小さいけれども。牡鹿半島は、行政のほうがととのうまで、小さくても、その一つ一つが大きいことに思われます。しがないおんがくやの自分が悔しいです。
先月後半、友人から宮城県石巻市に物資を届けるというお話を聞いたときは、今必要とされているものは衣類やおむつなどとききました。が、市内のもっともっと先の牡鹿半島では、1人分の食糧を7人でわけあっているような状態ということを、実際行った友人からききました。
今日、先日宅急便で送らせていただいた食糧が無事届きましたと避難所・物資支援集積所の責任者の方から、ご連絡を頂きました。都内からクロネコ宅急便で届くことが確認できました。
呼びかけにより以前よりは食糧が届き始めているようですが、まだまだ2500人分の食糧を毎食満たすのには足りていない様子です。
クロネコ、ゆうぱっく、佐川、OKということです。牡鹿半島は石巻市内のさらに奥にいった最先端の半島で、物資が届きにくい場所です。
水はまだ水道水でなく配給車からきてるようですが、水はあるので簡単な調理可能です。物資も、道路がいろは坂のようにくねくねで危険な道、余震がある中、運んでくださっています。お米、レトルトパックのものなどがよいとのことでした。でも食糧ならおかしでもなんでもよいということです!
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この友人は私がここ5年くらい演奏でお世話になっております、関内のファーラウトでお知り合いになりました私の歌手の友人のまた友人で、神奈川県の海の近くに住むサーファーです。台風に波乗りに繰り出すくらいの生粋のサーファーで、海をとても愛している方です。石巻市に友人が2人いらっしゃるとのことで当初心配されていましたが、お二人とも命からがら逃げて一命をとりとめたということです。それで、お一人で車を運転して救援物資を届けに行ってくれました。道が危なく事故にあう危険や余震がある中。
以下、実際に牡鹿半島にいった友人の送ってくれたメールです。
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5月5日。
今の牡鹿半島情報です
配給率…今は2人で一食分ないとのことです
それもGWのボランティアさんが持ってきてくれる食べ物のおかげで、そこまで上がったとのことです
そして、やはり自衛隊さんです!!
トラックいっぱいに積んで持って来てくれてるんだけど、やはり2000人分3食となると、半分以下の配給になってしまうとのこと…GWが終わり、自衛隊さんが居なくなったら…終わりです
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4月22日。
自衛隊員や米軍支援部隊のチカラにより日々復旧してきてます。
しかし、まだまだ支援の輪が必要なのです、1人2人のチカラでは、自ずと限界がきてしまうので、協力お願いします<(_ _)>
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石巻市の先に、牡鹿半島というところがあります。
そこで非難してる方々には震災から1ヶ月以上もたつのに…配給で…
朝…オニギリ一個と牛乳か水
昼…自衛隊員が作ってくれる、 そばか、うどん
夜…パン一個に牛乳か水
それだけ食べれるなら、良いじゃないか…なんて言わないで下さいね。
いまだに、そんな状態でも、私たちは復興に頑張ってるって言ってる行政…考えてみて下さい。ま、頑張ってるのでしょうが…。
・・・・・・・いろは坂の様にクネクネしてて、より狭く地震による歪みで危険な山道だそうです
そして、収束宣言は出てないんです、そこに送り出す家族の方の気持ちも考えて下さいね。
そして、被災者の方々が、控えめながらも、なぜ支援を求めてくるか考えて下さいね…仕事も家も家族もお金も…全て無くし、亡くした方々、でも生きていかなきゃいけないのです…そして、どう分配するか試行錯誤してるなどといつまでも言い訳している、政治家行政の影で苦しんでる人が、本当に沢山居るってコトを…。
まだまだ、ゴールは見えません…よろしくお願いします<(_ _)>
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